エミール・モーリス・エルメス
1900年、アドルフの弟である、エミール・モーリス・エルメス(当時30歳)は、ヨーロッパの王侯貴族や、ロシア皇帝:ニコライ2世に、馬具とかばんを売込みました。そして商談に成功し、顧客になりました。因みに、エミール・モーリス・エルメスは、後に3代目の代表取締役となります。
1902年、父であるエミール・シャルル・エルメスは、二人の息子である長男:エミール・アドルフ・エルメスと、次男:エミール・モーリス・エルメスに事業を受け継いでもらい、アドルフとモーリスは商号を「エルメス兄弟社」に改めました。
1903年、アメリカでは自動車の大量生産が始まりました。ルノー自動車の創始者と幼馴染みであったエミール・モーリス・エルメスは、彼との会話の中で、自動車社会が早いうちに来ることを予想しました。そして、馬車時代が終っていくことを察知し、馬具だけでなく、女性用バックや財布の製造を開始し、事業の多角化に乗り出しました。それからというもの、高貴な顧客を獲得し、世界的な馬車商に発展していきました。
1920年、ファスナーの特許を買い取ることに成功し、世界初となる「システム・エクレール」と呼ばれるファスナーを用いたバッグや衣服を発表しました。しかし、基本的にファスナーが衣服に使われるようになったのは、シャネルがスカートにシステム・エクレース・ファスナーを使ったことがきっかけでした。さらに、ハンドバッグ部門を開始します。
鞍縫いの職人的製法「クージュ・セリエ」を活用した革製バッグは、当時の婦人たちに大人気なアイテムとなりました。バッグ製造を始めた理由として、馬車時代から自動車時代へ転換したことで、自動車の最先端をいくアメリカ文化が、ブランドを展開していくためのカギとなっていたことです。しかし、大量生産の世の中になっても、少量生産主義を維持したことは、エルメス商品に希少価値を持たせ、「ブランド」として成功することに繋がりました。
1922年、エミール・モーリス・エルメスは、兄:エミール・アドルフ・エルメスから会社の全所有権を買い取り、建物の改装と拡張をし、社名を「エルメス」に戻しました。1926年、ウィンドウのデイスプレーがアニー・ボメールによって始まりました。